原子爆弾とは〜注7

公開: 2019年8月12日

更新: 2019年8月xx日

注7. 唐の時代

古代中国の唐の時代は、西暦618年から907年まで続きました。これは、日本の天武天応の時代から平安時代に当たる頃です。日本の大和朝廷は、大国の中国の皇帝から、日本を治める正当な政治組織であることを認めてもらうために、貢物を持たせた使節を中国の隋に送り、隋の皇帝から様々な贈り物と、日本の皇帝であることの証の手紙をもらいました。日本と隋のこの関係は、長期にわたって続き、日本では遣隋使と呼ばれた使節が何回か送られました。小野妹子はその遣隋使として有名です。しかし、隋と朝鮮半島北部の高句麗が、朝鮮半島南部の新羅や百済を攻め、百済軍を助けるために兵を送った大和朝廷は、白孫江の戦いで大敗しました。この戦いに負けた大和朝廷は、隋や高句麗が日本に攻めて来る可能性を考え、九州の大宰府近郊の守りを固めました。そのために、日本の各地から兵(防人(さきもり))を集め、九州へ送り込まなければなりませんでした。しかし、当時の大和朝廷にはそのような権力はなく、武力については地方の豪族に頼っていました。乙巳の変の後、大化の改新に着手した天智天皇は、隋の政治制度を真似て律令制度を取り込み、大和朝廷への権力の集中を進めていました。その天智天皇が没して、その子の大友の皇子(おおとものみこ))と弟の大海人の皇子(おおあまのみこ)の間で相続争いが起き、壬申の乱(じんしんのらん)となりました。壬申の乱で大勝した大海人の皇子は、天皇に即位し、天武天皇となりました。この頃、中国大陸では隋が滅びて、唐が政権を握りました。この唐の時代に残された書き物に、木炭と、硝石、硫黄を混ぜ合わせると、爆発が起きるとの記述があるそうです。これが、火薬の始まりのようです。

参考になる読み物

鳥山喜一、「黄河の水」(1960年)、角川文庫ソフィア